淀川区の家族葬会館「メイプルホール淀川」

メイプルホール淀川は淀川区三津屋にある家族葬ホールです。淀川区、東淀川区、西淀川区の1万世帯以上が会員様です。京阪互助センター(創業50年以上)の玉泉院グループが運営しています。事前相談や会館見学、実際にかかる費用を前もって提示している安心互助会システムについても弊社へご相談くださいませ。

淀川区で家族葬をするならメイプルホール淀川です。

淀川区家族葬するなら、あなたはどの家族葬ホールにしますか?

 

ここ数年で「家族葬」を選ぶ方が多くなってきています。

以前にまだ普及していなかった「家族葬」は費用を抑えられるという印象で用いる方も多いのではないでしょうか?

 

今では「家族葬」が主流になりつつあり、葬儀やお葬式に関する本を色々と読みますとここ2010年頃から大きく変わったと書かれています。

 

ここまで「家族葬」が普及した理由は、実はそういった所(費用などの経済的な部分)ではないでしょうか?

 

田舎にいるおじいちゃんとおばあちゃん。実家にいるお父さんとお母さん、そして離れて暮らす子どもたち。

 

ここ数十年での生活スタイルが大きく変化しています。育ててくれた家族と離れ、都会で働きながら暮らして生活することが増え、そこでまた新しい家族を築き上げて暮らしている家庭が多くみられます。

 

こんな日常の中で、突然のことが起きると…

 

「家族との時間をもっと大事にしたかった」
「家族の思いを大切にしたい」
「最愛の方との時間をゆっくり過ごしたい」

 

そんな気持ちを持ってしまう人も実は少なくはありません。

 

メイプルホール淀川では、まず近隣の淀川区の方々に向けて日々ご説明の機会を頂戴しています。

 

淀川区」について

 

淀川区」は全部で23地区あります

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淀川区家族葬ホールはメイプルホール淀川

区の町名の由来

引用:淀川区

十三(じゅうそう)

  町名は、大正14年大阪府西成郡神津町などが大阪市編入されたときにつけられました。由来は、西成郡の起点飛田(今の阿倍野)から古代の条里制で数えて十三条で、条がとれて十三になった(例:九条・十八条)、淀川 で上流から13番目の渡しがあったから、などの説があります。明治11年 十三渡しの地に、木橋の十三橋(現在の十三大橋付近)がかけられました。

十三の写真です。

十三大橋

塚本(つかもと)

  「和名抄」に「槻本郷都木乃毛止」とある郷名を村名として採用したことに由来します。「万葉集」には、「槻」を「つか」と読ましている例があると言われています。

 

田川(たがわ)

  住吉大社の社家であった田川権太夫が開発した土地であるという伝えによっています。

 

加島(かしま)

  難波八十島の一つである假島の旧地であるとの伝承によります。加島は假島の字を換えたもので、そのほか蟹島の名も伝えられています。連歌所が香具波志神社に設けられていたので、加島を歌島・賀島と書き換えて用いたり香具波志神社の関係から神島、さらに加島の鍛冶千軒の伝承から鍛冶ケ島でもありました。

 

三津屋(みつや)

  町名は、旧村名ないし旧大字名に由来しますが、三津屋村はもと三社(みつや)村と称した村で、八幡宮が三社あったことによるといわれています。三津屋村に所在した長楽寺・光専寺は、ともに三社山とよばれていました。また三社八幡神社明治42年6月1日に香具波志神社に合祀され、三社村の名称の原点がわかりにくくなりました。また一説に三社浅右衛門が開発した土地によるという説もあります。

 

野中(のなか)

  町名は、旧村名によりますが、野の中に小さな村をなしていたことによります。野中は下中島の内にあって、三津屋・今里・掘上・加島とともに五箇荘または加島荘とよばれていました。

 

新高(にいたか)

  町名は、当地域が周囲の地域に比べて土地に高度があったことに由来するとも、また一説には「高」は米の石高をあらわし、新しくひらけた土地という意味に由来するとも言われています。また、新高町の町名を設けた大正14年当時新高山(台湾)が日本領で一番高い山として知られるようになっていたことも関連がありそうです。

 

十八条(じゅうはちじょう)

  江戸時代の村名に由来しますが、村名が何によって名づけられたかは不詳です。「東淀川区史」は天坊幸彦の著書「古代の大阪」の説を採り上げ、飛田を西成郡の一条とし、これを起点として六町方眼をもって順次北に数えると、ちょうど十三条の辺に今の十三があり、十八条の名も条理制に起因するとしています。
  しかし、飛田をなぜ西成郡の一条とし、六町をもって単位としたかは述べられていません。

 

西三国(にしみくに) / 東三国(ひがしみくに)

  昔より大字蒲田の西部の一隅に三国島という小字地名があり、それによって阪急電車宝塚線の当地最寄駅名を三国駅と定めたことに影響を受けたのに由来します。桓武天皇長岡京造営のさいに開削した神崎川を三国川と呼称したことにもよります。冠称の「西」・「東」は町域を東西に二分した際、その西部・東部に位置したことによります。

 

三国本町(みくにほんまち)

  三国駅に近い商工の町として「本町」の付称を用いたことによります。

 

宮原(みやはら)

  町域が中島惣社の社頭(宮)の原にあたっていることによります。

 

西中島(にしなかじま)

  町名は、旧村名を復活させたことに由来しますが、旧村名は古来、下中島と称した地域の西南部に位置することによります。

 

木川(きかわ)

  木寺村と川口新家村が合併して一村となった際、それぞれの頭文字をとって発足したことによります。

 

 

メイプルホール淀川では月に2回~3回の見学会を開催しています。

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メイプルホール淀川の見学会

 

WEBからの見学会予約は下記より

www.kokuchpro.com